父と同じように、デザインでまちづくりに貢献していく
//プロフィール
父親も元グラフィックデザイナーで、のちに画家へ転身。私自身も冊子を作ったり、イラスト・漫画を描いたりすることが好きな子どもでした。
画力不足で一度は夢をあきらめましたが、このまま興味のない仕事を続けることと、3.11がきっかけで本当にやりたいことを職にしよう! と決意。20代半ばでデザイン専門学校に通い、現在に至ります。
//計画や妄想しているプロジェクト♪
『おかえりせんげん台』の定着、認知度を上げ、まずは市内で知られる活動になって欲しいです。
そこから県内、全国的に知られて、『おかえり◯◯』といったように地方それぞれの展開が広まったらこれ以上うれしいことはありません。
また、越谷に戻ってきたことで、伝統工芸品などの名品や特産品、モノ、ヒト、コトの魅力に気付きました。名前だけしか知らなかったプロバスケットボールチーム『越谷アルファーズ』にここ最近ハマり、『おかえりせんげん台』とのコラボや、さらなる認知度、集客につながることが何かできればと考えています。
//今ある自分のロールモデルは誰ですか?
父親です。父は画家になったあと、地元公民館で絵画を教えたり、自治会館の看板や自治会だよりを手描きで制作していたりと、いま思えば自分の能力を生かしてまちづくりに貢献していたと感じました。
県や市など大きな地域でなくても、自分の生活圏の広さでも十分まちづくりに参加できると気づかせてくれました。
//まちづくりに関わったきっかけは?
デザイン専門学校時代、講師は口々に全国的に有名で誇れる仕事をすべき、というような教え方をしていましたが、そのころから大きな仕事にはあまり興味はなく、それよりも「地域に携われたらなあ」となんとなく、ぼやっとした考えがありました。
その後、デザイナーとして経験を積み、『おかえりせんげん台』と出会い、デザインを担当させていただきました。最近では地域発のおしゃれなデザインを集めた本が多々出版されていて、都市も地方も関係なく話題性、クリエイティブ性が高まっていると感じます。
//人生の分岐路になった出会いは?
せんげん台西口にある、ふたつの商店会から結成された有志団体『おかえりせんげん台』との出会いです。
期間中、参加店舗に行くと店員はいらっしゃいませの代わりに「おかえり」と声がけをします。「ただいま」と返すとオリジナルステッカーをプレゼントします。
私は10年ほど地元を離れて東京で暮らしていましたが、コロナ禍によりフルリモートになったことで東京に住む理由がなくなり地元に帰ってきました。私自身もリアルに『おかえりせんげん台』であるため、活動に共感し、デザインなどで貢献できたらと思い参加しました。
メンバーのみなさんは非常に士気が高く、さまざまな考え方を持ち、人とのつながりを大切にしており、想い出に残るまちづくりの姿勢を学ばせていただいています。